2009年10月4日日曜日

カモ~ん 感動写真

写真とは、何ぞや。

写真とは、感動を記録するものである。

まぁ、他にも用途はあるが、
世に言う
カメラで写真を撮るのが趣味な人たちは、
いろいろな思いがあるのは事実なんだけど
みんなひっくるめて
そういう一切合財を感動記録媒体(カメラ)に記録する行為を
「写真を撮る」ってことで。


趣味は?
「写真を撮ることです」

これ、とっても、崇高なことです。

趣味は、音楽を聴くことです。ってのも感動することではあるけど、
あくまでも自分の話。

写真を撮るってのは、もちろん自分が感動するってこと、
感動したものを捕らえるという力を要する(得とくする)んだけど、
その先には、誰かに見てもらう、というステージがあるのだ。

ここが重要だと思う。

そこで、また、新たな感動が見た人へと伝染する(笑)

その感動は、もしかしたら、撮影者とは違った感動となるかもしれない。
その時点で、予測不可能な感動の可能性を秘めている。
そこが面白い。
逆に言うと、写真を発表する場が無い、カメラ撮影というか、写真を撮ることは、
なんと空しい作業となるではないか。


先日本屋のカメラコーナー(写真コーナー)に行ったら、
あるわ、あるわ、カメラ本が。

昔より増えた?

タイ象が知っているのは、アサヒカメラや日本カメラ、ちょっと若向けのCAPA、
フォトテク(フォトコンだっけ?)かな、そういうのの他にも、たくさんある。
初心者向け、中には母親向けみたいなのもあり
びっくりした。

カメラってのは、もはや、マニアのものではないんだな。
それはそれで、結構なことだ。
だれでもが、気軽に、写真を撮れる。
愛犬の写真、家族の写真、車の写真。
自分の好きなものを撮って、そして、それが
もしかしたら、感動を呼ぶかもしれない、そういう進化が昨今はあるようだが、
これは、とても真っ当な進化で、喜ばしいことだと思う。


初めてデジタルカメラが出たときは、
賛否両論あったし、今もまだ、あるが、趣味のものだから、どれが正しいとか
これは、間違っているというのは無い。

しかし、昔の、巨匠と呼ばれる人たちは、
今時の写真とはあきらかに違った雰囲気の写真を撮っている。
フィルムの時代に。

ピントがどうとか、フィルムの粒子がどうとか、
そういった議論は少ない。(一部には当然あるのだが)
レンズの描写力とか色収差や
歪曲収差、なんだかんだといってはみても、
プロが使っている
その機材を素人が使って同じように撮れるかというと
なかなか決してそういうわけではないわけで。
プロがすごいのはそこなんだ。
(自分が目指す写真が撮れるように腕を磨くってのが、アマの楽しみでもあるわけですが)


タイ象が一眼レフを手に入れた頃は、まだフィルムもたくさんの種類が
販売されていて、
その頃すでに、緑色や青を、鮮やかなら、フジ
人肌、紅葉ならコダック
などと、メーカも特色を出していたそんな時代。
よく、デジタル(処理など)をけしからんという説もあるわけだが、
しかし、昔だって、フィルムとレンズの特性を考慮して、
状況にあわせて、フィルムを選択して、またフィルタを組み合わせたりしていたんだから、
50歩100歩だ。

デジタルは、センサ(CCDやCMOS)とレンズの組み合わせ。
これは、一見旧世代のフィルムとレンズの組み合わせと同じじゃないか、と思われるが、
実際には、センサに入射した光線を電気信号として取り出し、それを
各色に変換する部分(各社によって、呼び方が異なるが・・・)がある。
これが、大きく違うところだ。

アナログ時代は、
レンズの性能は、いかに、見たまま、そのときの空気感までを忠実に再現するかが、
問題で、その再現を良しととされていて、そういう意味で、当時のNIKONは非常に評価が高かったと思う。

ところが、デジタルが、徐々に浸透してきた頃にある議論が
きっと、行われていたはずだ。
(いや、タイ象はそのころは知らないんだけど、人に聞いた話です)

それは、
家に帰って写真を見たら、

こんなんじゃない、
もっと青かった、
もっと赤かった
もっと鮮やかだった
と。(いや、フィルムの時代もそういうのはあったんですが・・・・・)

で、恐らく、一部のメーカのデジカメは、実際に鮮やかに取れたんじゃないだろうか。

某メーカのは色がいいとか、きれいだとか
そういうふれこみは聞いたことがある。

Nikonの技術者は、レンズの性能(もちろん本体もね)に自信をもっていたにもかかわらず、以外に売れなかったのは
センサーと組み合わせた色つくりという観点において、多分出遅れたんだろう。
いや、それ(色を作るってこと)は、邪道だ、という意見があったんじゃないだろうか。
でも、一般人は、旅行にしろ、何にしろ、
自分の思い出の写真が、色鮮やかに、ある意味作られた色だとしても
それは、後で見たときに、素敵な思い出のプラスアルファになるには違いないではないか。

結局、その写真を写したときの基準となる写真がもう一つあるわけではなく、
あくまでもその時うつした写真しか無いわけだから、
それが綺麗ならいいじゃん。というのが、現在の状況なのではないだろうか。
(いや、全てではなく、あくまでも民生品レベルの話)

写真っていうのは、絶対値ではなく、相対値なのだ。
その青は、そのカメラが写している青は俺の見ている青と同じなのか?
お前の見ている青と俺の見ている青は同じなのか?
というのは、愚問なのだ。

そんなことは、測定器にまかせて、

俺は、この写真のここに感動した
俺は、この風景のここが好きだ

って、

まずは、言ってみたいと思う。

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